かつて、私の両親および両親と結託した某 不登校・引きこもり引き出し業者を運営する中年の女性から、突如 威圧をかけられ、一方的に罵倒、非難され、家から強制的に着のみ着のままで追い出された私。
あろうことか、この女性は地方テレビ局のカメラクルーを引き連れていて、この場面を撮影させたのだ。
両親も承諾していたはずだ。
私の衝撃と不快、怒りは筆舌に尽くし難いものであった。
それでも、その感情を表には出さなかった。
私には一切の選択の余地もなく、今でも私は心の底から承認していない不変の事実だ。
この遺恨は2度と晴れはしない。
私は正体不明の施設へ向けて移送された。
どのような若者たちが何人ほどで生活しているのか、そこでどのような事をしているのか、聞かされていないし、私には全くの謎であった。
その施設はどこにあるのか?
一体これから私はどうなるのか?
どのような扱いを受けるのか?
いつまでそこにいなければならないのか?
どこが目標地点なのか?
移送の道中、施設を運営する責任者の女性は私に向かって、
「おまえ、スーパーカーは好きか?」
というような事を聞いてきた。
私は車なんて全く興味が無かった。
ちなみにバイクやメカニックな物など全く興味がない。
なぜそのような事を聞いてくるのかと思ったが、どうやらその施設内で車を修理しているようなのだ。
意味が分からない。
なぜそのような事をしているのか。
この時、違和感と不安がより一層募った。
移送の道中、業者の責任者の女性からの言葉で唯一覚えている事は、それだけだ。
この突然の拉致、移送という衝撃的な出来事に翻弄された私は気が気でなく、道中でのそれ以外の出来事や景色は一切覚えていないほどだ。
私はそこに引っかかったまま、父親が同伴のもと移送された。
おそらく責任者の女性の指示のもと、施設入所前の緩衝地点もどきとなったビジネスホテルに父親と数日滞在。
ここで、何枚にもわたる「反省文」を書かされた。
騙し打ちの当日より、いや私が知らない時期より、あくまで私は「反省」すべき存在であり、悪であり、私に全て非があり、これまでの苦難や親の非等については同情の余地が一切示されなかった。
当時、私は精神科/心療内科を受診してはいなかったのだが、私は医療の対象である可能性や、社会生活に支障がある障がい者と認定される可能性が大いにあったにも関わらず。
私はこの状況を到底受け入れることはできなかった。
その為、思ってもいない嘘の反省文を無駄に延々と書き綴ったのだった。
数日後、いよいよ不登校・引きこもりの若者たちが入所しているという謎の施設へ、私は初めて足を踏み入れることとなった。
不適王