不適王の実録記  

            ©️2024 不適王 (id:nekozebito)                                    

#4 スーパーカーは好きか?

かつて、私の両親および両親と結託した某 不登校・引きこもり引き出し業者を運営する中年の女性から、突如 威圧をかけられ、一方的に罵倒、非難され、家から強制的に着のみ着のままで追い出された私。

 

あろうことか、この女性は地方テレビ局のカメラクルーを引き連れていて、この場面を撮影させたのだ。

両親も承諾していたはずだ。

 

私の衝撃と不快、怒りは筆舌に尽くし難いものであった。

それでも、その感情を表には出さなかった。

 

私には一切の選択の余地もなく、今でも私は心の底から承認していない不変の事実だ。

この遺恨は2度と晴れはしない。

 

私は正体不明の施設へ向けて移送された。

どのような若者たちが何人ほどで生活しているのか、そこでどのような事をしているのか、聞かされていないし、私には全くの謎であった。

 

その施設はどこにあるのか?

一体これから私はどうなるのか?

どのような扱いを受けるのか?

いつまでそこにいなければならないのか?

どこが目標地点なのか?

 

移送の道中、施設を運営する責任者の女性は私に向かって、

「おまえ、スーパーカーは好きか?」

というような事を聞いてきた。

 

私は車なんて全く興味が無かった。

ちなみにバイクやメカニックな物など全く興味がない。

 

なぜそのような事を聞いてくるのかと思ったが、どうやらその施設内で車を修理しているようなのだ。

 

意味が分からない。

なぜそのような事をしているのか。

 

この時、違和感と不安がより一層募った。

 

移送の道中、業者の責任者の女性からの言葉で唯一覚えている事は、それだけだ。

この突然の拉致、移送という衝撃的な出来事に翻弄された私は気が気でなく、道中でのそれ以外の出来事や景色は一切覚えていないほどだ。

 

私はそこに引っかかったまま、父親が同伴のもと移送された。

 

おそらく責任者の女性の指示のもと、施設入所前の緩衝地点もどきとなったビジネスホテルに父親と数日滞在。

 

ここで、何枚にもわたる「反省文」を書かされた。

 

騙し打ちの当日より、いや私が知らない時期より、あくまで私は「反省」すべき存在であり、悪であり、私に全て非があり、これまでの苦難や親の非等については同情の余地が一切示されなかった。

 

当時、私は精神科/心療内科を受診してはいなかったのだが、私は医療の対象である可能性や、社会生活に支障がある障がい者と認定される可能性が大いにあったにも関わらず。

 

私はこの状況を到底受け入れることはできなかった。

 

その為、思ってもいない嘘の反省文を無駄に延々と書き綴ったのだった。

 

数日後、いよいよ不登校・引きこもりの若者たちが入所しているという謎の施設へ、私は初めて足を踏み入れることとなった。

 

 

不適王

 

 

#3 拉致そして移送

かつて、私が不登校や引きこもりになった経緯や生育歴においては、人間関係の心的外傷体験、他者への不信というものが大変大きく関わっていた。

 

医療機関の主体的な受診、復学や就労の機会の確保だけではなく、何よりも他者への信頼の機会を必要としていた人間であったということを、何にも増して記しておく必要がある。

これは他者への信頼回復=他者との集団生活 を指しているのではない。

 

その最中において、両親が身内や親族を巻き込んで、私の知らぬ所で、いわゆる民間の「不登校・引きこもり引き出し業者」に接触、利用をしたのだった。

 

突然、私の前から姿をくらましていた両親が目の前に現れたかと思ったら、派手な服装を身にまとった中年の女性を伴っていた。

なんと地方テレビ局のカメラクルーまで引き連れて。

 

私の前に突如現れた某業者の責任者であった中年の女性は鎮座しながらも、見た目の通り横柄な態度、ややなまりのある荒い言葉使いで、私に詰め寄った。

傍らに、騙し討ちをした両親と身内、親族を座らせて。

 

この中年の女性は私が最も信頼の置けないタイプの人間であった。

不登校・引きこもりは甘えであり、全ては私に非があり、改心改善せねばならない、これから家を出て集団生活をすることになった、という趣旨の話を一方的にするだけした。

 

決して大きな金づるを逃さまいと。

 

私は騙された事、すなわち選択の機会を与えられない事、

不登校・引きこもり本人が悪であり改心改善する必要があること、

強制的に集団生活を強いられるということ、

どこが目的地なのか不明瞭であること、

幾度と人間不信に苦しむこととなる予感、

体罰といった良からぬ事が起きる予感、

どうしたらその施設を出られるのか、

これらに対しての筆舌に尽くしがたい怒りを必死に抑え、あきらめの境地の中、全く抵抗はしなかった。

 

私は心の切腹をさせられたのだった。

 

しかし、決してこの女性の思想及びこの施設へ行くことの承諾はしてはいない。

はたまたテレビカメラで撮影されることも承諾はしていない。

何年も何年も何年も経った今でもそれは変わらない。

家を出たことに対して、ではないのだ。

それと同時に、この女性のことを信頼の置けない人間であると感じた思いは、増すことはあっても減ることはない、今でも不変だ。

 

この時、私は衣類などの準備をすると申し出たら拒否された。

着の身着のまま、家から追い出された。

 

突然拉致された私は、家族同伴の元、移送されることになった。

 

私の人格や人生、苦悩を否定した当時どこの誰かも分からない中年の女性ならびに私の両親、身内への不快感と怒りを押し殺して。

どこにあるのかも分からない正体不明の施設へと向けて。

 

移送の車中、今まで姿をくらましていた母親は隣に座り、私の心中をどのように察していたのかは分からないが、私の方を見て「良かったね」と一言だけ言ったことを今でも思い出す。

当時としても、結果的にも、憎悪の1場面である。

 

移送は途中から父親のみが付き添った。

 

どこへ向かっているのかも分からず、そしてビジネスホテルに父親と数日、滞在することになった。

全て業者の女性からの指示だったはずだ。

おそらくは、業者の施設へ着いてから自殺でもしたら問題が起きるため、緩衝期間を設ける意味合いもあったのだろう。

 

この間、父親経由で、この引き出し業者の責任者である中年の女性 通称「◯◯先生」からの指示らしく、10枚程だっただろうか、反省文を書かされることとなった。

 

あくまで不登校・引きこもりであったことへの「反省文」である。

 

私は不快感、怒りと絶望を同時に感じたまま、全く本心ではない反省文を書き連ねたのだった。

 

 

 

不適王

 

#2 あの日

当時、私はいわゆるニートの類に属していた。

それまでの経過の記述については省略させて頂く。

ニートとは言っても、私の場合は外出は可能で、本格的な社会参加の形、社会復帰のタイミングを、自分なりに心的外傷の過去を整理しつつ、模索していた時期であった。

時間を要していたとは言え、実際に、友好的な不登校・引きこもりの支援団体への接触と交流も試みていた時期であった。

 

その日、部屋の窓から見た空が青空でとても良い天気だったこと、布団を干したことを記憶している。

お昼前ぐらいだっただろうか。

突然、父母と身内が、どこの誰かも知らない派手で気性が荒そうな中年の女性を伴って私の前に現れた。

しかし私には何が起きたのか察した。

両親が身内とともに、私の知らぬところでコソコソと、このような騙し討ちの手回しをしていたことを。

 

突然、大人数が目の前に現れ、粛々とした空気感、全員からの一方的な圧。

そして、父母が連れてきた派手な中年の女性は、自己紹介も全く無いまま、ややなまりのある怒声か罵声かも区別がつかない大声で、一方的にまくし立て始め、こちらの言い分など一切聞く耳をもたないでたあろう状態であった。

その派手に着飾って薄ら笑いを浮かべた中年の女性は、私が全て悪く、私の心根に全て非があり、家族に迷惑をかけ、家族のお荷物で、改心改善が必要であり、この家から出ていき、どこの何かも分からない寮?で集団生活をするよう仕向けたのだ。

これは同時に、この口汚い女性の傍らで鎮座していた両親と身内の代弁でもあった。

 

私にも1人の個人として、生まれてからそれまでの人生に様々な辛苦があり、人間嫌いになる出来事もあり、不登校になったり、メンタルや体を壊したりもした。

そこに対する配慮ある言葉は一切無かった。

 

代替案すら皆無であった。

選択の余地すら無かった。

それまで、私は両親から社会に沢山存在するであろう選択肢やリソースの全てを提案されたり紹介されたわけではなく、また冒頭に記述したように私は全てを拒否してきたこともない。

ちなみに、この時、私はこの見ず知らずの中年の女性が運営している不明瞭な施設への入寮?の承諾をしていない。

 

一方的な人生と人格の否定、脅迫、強要、強制であった。

 

私は極めて不快な感情、急激なストレスと怒りの中にありつつも、自分を押し殺し、冷静に努めてた。

今でも思い出したくないほどの尋常ではない極めてストレスフルな1コマである。

 

そして、あろうことか、この強引で異常な現場に、自己顕示欲の塊と金の亡者であった女性は、地方テレビ局のカメラクルーまで引き連れていて、私は「親不孝のダメ人間」として一部始終を撮影されていたのである。

当然、私はこの事も知らされていないし、同じく承諾をしていない。

 

 

不適王

 

※せっかくコメントを頂き、また返信コメントも合わせて表示していたところ、こちらの手違いで消えてしまいました。

とてもご丁寧に温かいコメントを下さった石畳のん♪さん、誠に申し訳ございません。

 

 

 

#1 はじめに

世の中には、気質や精神的な疾病等によって、社会生活に支障をきたす場合があります。

ここでは不登校や引きこもりを差します。

 

こういった人々には、適宜寄り添う気持ちや人の温かさが必要であることは言うまでもありません。

その上で、主体的な精神科受診、復学、就労、福祉利用などの個別に応じた社会参加と自立へ繋げていく必要があります。

それは同時に親の関わり方の問題でもあります。

 

しかしながら、一部の親は、いわゆる民間の「不登校・引きこもり引き出し業者」を利用し、親と結託した業者が、暴言暴力を伴いながら当事者を拉致、拘束し、強引に家から引き出すという事案が勃発しています。

 

何年間もの期間、当事者は業者の施設で人格を否定され責められ、体罰を受け続け、プライバシーも搾取され続け、拒否反応が抑圧されるケースがありました。

 

数多の著しい人権侵害は根本的な解決に至らず、ただ遺恨を残すだけであり、一方で親は原因を子どもに押し付けて周囲に自らの体裁を取り繕い、身勝手に安堵し、そして業者から要求されるままに法外な金額を支払い続けました。

 

こういったケースへの評価は、悪質な業者に長期間に渡り拘束され、その経過を辿った当事者こそ、所感を述べて評価をする権利があり、それが答えなのです。

この『実録記』は、かつて当事者が実際に我が身に降りかかった実記であり、家庭や社会への警鐘です。

 

 

筆者