かつて、私が不登校や引きこもりになった経緯や生育歴においては、人間関係の心的外傷体験、他者への不信というものが大変大きく関わっていた。
医療機関の主体的な受診、復学や就労の機会の確保だけではなく、何よりも他者への信頼の機会を必要としていた人間であったということを、何にも増して記しておく必要がある。
これは他者への信頼回復=他者との集団生活 を指しているのではない。
その最中において、両親が身内や親族を巻き込んで、私の知らぬ所で、いわゆる民間の「不登校・引きこもり引き出し業者」に接触、利用をしたのだった。
突然、私の前から姿をくらましていた両親が目の前に現れたかと思ったら、派手な服装を身にまとった中年の女性を伴っていた。
なんと地方テレビ局のカメラクルーまで引き連れて。
私の前に突如現れた某業者の責任者であった中年の女性は鎮座しながらも、見た目の通り横柄な態度、ややなまりのある荒い言葉使いで、私に詰め寄った。
傍らに、騙し討ちをした両親らを控えさせて。
この中年の女性は私が最も信頼の置けないタイプの人間であった。
不登校・引きこもりは甘えであり、全ては私に非があり、改心改善せねばならない、これから家を出て集団生活をすることになった、という趣旨の話を一方的にするだけした。
決して大きな金づるを逃さまいと。
私は騙された事、すなわち選択の機会を与えられないこと、
不登校・引きこもり本人が悪であり改心改善する必要があること、
根性を叩き治す必要があり、それで治るという乱暴で片寄った思想、
強制的に集団生活を強いられるということ、
どこが目的地なのか不明瞭であること、
幾度と人間不信に苦しむこととなる予感、
体罰といった良からぬ事が起きる予感、
どうしたらその施設を出られるのか、
これらに対しての筆舌に尽くしがたい怒りがあったものの、それを必死に抑え、あきらめの境地の中、全く抵抗はしなかった。
私は心の切腹をさせられたのだった。
しかし、決してこの女性の思想及びこの施設へ行くことの承諾はしてはいない。
はたまたテレビカメラで撮影されることも承諾はしていない。
何年も何年も何年も経った今でもそれは変わらない。
家を出たことに対して、ではなく。
それと同時に、この女性のことを信頼の置けない人間であると感じた思いは、増すことはあっても減ることはない、今でも不変の事実だ。
この時、私は衣類などの準備をすると申し出たら拒否された。
着の身着のまま、家から追い出された。
突然拉致された私は、家族同伴の元、移送されることになった。
私の人格や人生、苦悩を否定した当時どこの誰かも分からない中年の女性ならびに私の両親、身内への不快感と怒りを押し殺して。
どこにあるのかも分からない正体不明の施設へと向けて。
移送の車中、今まで姿をくらましていた母親は隣に座り、私の心中をどのように察していたのかは分からないが、私の方を見て「良かったね」と。
思い出したくもない場面の1つである。
移送は途中から父親のみが付き添った。
どこへ向かっているのかも分からず、そしてビジネスホテルに父親と数日、滞在することになった。
全て業者の女性からの指示だったはずだ。
おそらくは、業者の施設へ着いてから自殺でもしたら問題が起きるため、緩衝期間を設ける意味合いもあったのだろう。
この間、父親経由で、この引き出し業者の責任者である中年の女性 通称「◯◯先生」からの指示らしく、10枚程だっただろうか、反省文を書かされることとなった。
あくまで不登校・引きこもりであったことへの「反省文」である。
私は不快感、怒りと絶望を同時に感じたまま、全く本心ではない反省文を書き連ねたのだった。
不適王