かつて、私は、私の家族が頼った民間の某 不登校・引きこもり引き出し業者に、半ば強引に拉致され、テレビカメラに撮影までされた私は、その施設とやらに入る前の緩衝地となったビジネスホテルに父親と数日滞在させられ、業者の代表であった中年の女性 通称「○○先生」からの指示であったと思われる「反省文」を父親経由で書かされた。
そして、いよいよ施設へ、通称「○○寮」へ向かうこととなった。
私は何年も何年も何年も経った今でも、この件に関わる全てを承諾していない。
しかし、当時は人権を剥奪された状態であり、否でも応でも従わされた。
あの時の私の気持ち、そしてその後に過ごした数年間もの長きに渡る数多の出来事を振り返るには、あまりにも残酷すぎるものであった。
その「○○寮」は、都市圏にあった。
まず最初に記しておくが、この施設は公共の施設でもなく、医療や福祉の専門職がいるわけでもなく、あくまで民間の業者が独自の裁量で運営・金儲けをしている施設であり、不登校・引きこもりの若者たちを拉致して、強制入寮、いや、収容をする施設であった。
そして、数多の人権略奪を。
当日、滞在していたビジネスホテルから父親とタクシーで向かっただろうか。
あまりにもショックが大きすぎ、初日のこと、どのようにして父親と別れたか、施設の門をくぐったのか、覚えていない。
おそらく、騙し打ちを計った父親の方をはっきりと見なかったように思うし、無言の抵抗をしていたようにも思うし、今となっては全く覚えていない。
「覚えていない」という重い言葉は、私が、私だからこそ、使える言葉である。
右も左も分からない「○○寮」に入った私は、通称「指導員室」という部屋に入らされた。
この「指導員室」の中で、後々、いつまでも悪夢となってうなされる対象となった人物たちと対面することになった。
この某 不登校・引きこもり引き出し業者の代表は、冒頭にも記した拉致現場に現れる中年の女性であったが、実際に施設における日々の実権と運営、いや、スパルタをはじめとした人権侵害を主導していたのは、この女性の息子 タカヒト(仮名)であった。
この男はまだ若干20代の経歴不明の者であった。
そう、家族経営の業者であり施設であったのだ。
この人物こそ、この施設のキーパーソンであり、同族経営の閉鎖性こそ、この施設の闇の根幹の1つであった。
そして、もう1人、この強権を握っていた息子の片腕として、施設のスパルタに加担していた男 ハセナワ(仮名)がいた。
この男も若干20代、同じく経歴不明の者であった。
タカヒト「お前がどうしてここに来ることになったか」
ハセナワ「ビジバシやらせてもらうので」
各々が私に最初にかけた言葉は2度と忘れることはない。
似た言葉をリプライしようか?
私がどうしてここに記すことになったのか分かるか!!